月光
あなたは、死にたいと思ったことがありますか？
「分かった」
あたしはそう言ったのに、母（そのおんな）は、そのしゃべりをやめなかった。言うことは決まっていた。いや、それしか言うことがなかったのだ。
「分かってないでしょ！ だから、こんな成績取るのよ！あんた、もうすぐ受験なのにこんなに悪くてどうするの。ずっとそう。大体あんたは、勉強というものをね・・・・・・」
意味のない言葉だった。もう、何回も何十回も聞かされた台詞。今日でさえ三回目だった。父は残業でもあるのか、帰ってきてなかった。妹はあたし達を無視し、テレピのバラエティ番組に集中しようとしていた。といっても、母の声が大きいから、無理そうだ。
「聞いてるの? あんたは、集中カってものがないの。人より多く勉強しなければならないのに、それなのにあんたは！」
さっきから、あたしは御飯を食べるのに集中しようとしていた。母のおしゃべりを聞きたくなかった。でも、さっきから茶碗の中のそれは、炭水化物のただの白い粒の塊と化していた。
「聞いてるの？」
「l聞いてるよ」
聞いている訳ない。意味のないことだから。
あたしは白い塊から、血の焼肉へと箸を移した。しかし、それも既に、褐色の蛋白質の塊となっていた。おいしくない。
「・・・・・・あんた、もうすぐ受験なのに、こんなに悪くてどうするの！」
さっきと同じ台詞が聞こえた。食べ物の妹がしないばかりか、喉を通らなくなってきた。それどころか、目に一仮まで溜ってきた。
判っている。あたしは、あんたより判っているんだ。
「あーうっさい。黙ってよ！」
「うっさいじやないでしょ。親に向かって！」
初めから、勝機はなかった。あたしは、彼女の付属物（こども）なのだから。
「ほっといてよ！」
「ほっとくわけにはいかないでしょ！」
あたしは、母を見た。憎しみを込めて。
「ごちそうさま！」
あたしは、乱暴に箸を置き部屋を出ていった。
「話が終わってないでしょ。それに、ろくに食べてないし。下りてらっしゃい！」
母の怒鳴り声が聞こえていた。でも、あたしは、無視して階段を上がっていっだ。どーせ、まずい飯だし。
確かに、あたしは成績が下がった。それが、あたしの責任であることも、このままでは良くないことも知っていた。だからといって、一晩経てば良くなるような単純なものでない以上、ただ騒いでたってしかたがないのだ。だが、母は何が悪い、これが悪いと責め立てていた。あたしが好きなもの、母が嫌いなものは、みんな勉強に悪影響を与えるものになっていた。新聞に書いてあるそうだ。そして、たまにはこんな事を言うこともある。
「そりやあ、お母さんも悪いと思っているの」
しかし、彼女が本当に自分を責めたことはない。
女の子は、そんなに貨くなる必要はない。少々馬鹿の方が良いのである。普通の高校を出て、大学（短大）でも出て、OLにでもなって、数年経ったら高収入で人望のあるのいい男性でも見つけて結婚をして、二人くらいの十供を持つ平凡な主婦にでもなれば。いのである。 古い考え。でも、末だに受げ入れられている考え。
県立（高校の良い所）に入りなさい。考えて見れば、小さい頃からそんなことを言われたような気がする。レールの引かれた道。安全な道。その上を走っているだけのあたし。
成績落ちたくせに、何言っているんだと思うかもしれない。
あたしは、死のうと思った。今、思うと馬鹿なことを考えたと思う。けど、その時は本気だった。ピうせ、生きていても良い事なんてない。受験をして、高校生になって、型通りのつまらない大人になるだけ・・・・・・そんなのは嫌だった。
家族は、泣くかも知れない。大勢の人の前に立って、大声で泣くかも。あたしの写真でも持って、「何で、こんな事に！」なんて、ハンカチで一涙を拭きながら言うのかも知れない。
でも、それだけ。どうせ、すぐに忘れてしまう。若者の代弁者といわれていた歌手が自殺しても、ある動物が絶威しても、すぐに忘れられてしまった。あたしなんか、それ以下。
けど、忘れられないようにしてやろうじゃないの。
あたしは、便せんを取り出した。今持っているものの中で、一番地妹で真面目そうなのを選んだ。
あたしは遺言を書くことにしたのだ。礼儀辞典を取り出して、その中の「遺言の書き方」欄を出した。そこを読んで、メモに下書きを書いた。丁寧にも、分からない漢字を辞書で調べ、下書きが完成する。鉛筆じや意味がないと思い、筆ぺンで丁寧に一文字一文字書いていった。字を間違えたときは、便せんまで取り替えて書き直した。
あたしが死ぬのは、学校のせいでも、いじめのせいでもない。母親のせいなんだって。あたしと仲が良くない子に、迷惑かける訳にはいかない。いくら何でも、可哀想だ。
けっこう時間がかかったけど、清書は完成した。丁寧に月日と署名をして、封筒に入れた。その封筒には、遺言状と大きく書いておいた。
こっそり下に下りると、母親（こう呼びたくはないが）は、テレピを見て大笑いしていた。なんて人だ。「受験なんだから、お母さんもテレピ控えるから」最近言った事だ。舌も乾いていなにのに。
丁度良いことは確か。笑い声のせいで、あたしの足音なんて居間に届かない。あたしは、靴を履き、外に出た。ほら、気付いていない。玄関の音なんて聞こえない。
何気なく道を歩きながら、あたしは自殺の方法について考えていた。
とりあえず、線路で電車の前に飛び込んでというのは没。あれは、事後処理が大変だし、身内が数百万を迷惑料だか何だか知らないが、払わなくてはいけない。JRゃ、列車の乗客に多大な迷惑が掛るし、親はともかく、親戚まで巻き込まれる事になる。
オーソドックであるが、首吊りも止めておく。絞首刑の囚人が、刑を執行されて死ぬまで、十五分もかかると聞いたことがある。死に顔も、相当歪んでいるらしいし。
薬も没。睡眠薬なんて手に入らないし。毒じや、苦しむことになる。
ガソリンかぶって焼死というのも没。火焙りというのは、見せしめと同時に、相手を痛ぶり殺すためでもあったという。そんな苦しいのはご免。それにこれは処刑法であって自殺の方法ではない。
斬首は、痛みを感じないらしい。けど、誰かに首切られるのも嫌だ。
そんな事を考えているうちに、あたしは公園に着いた。ここは、丘の上にあって、市街がよく見渡せた。花火大会の時など、よく、ここに見に来たもんだ。
そう。ここから、公園の崖から飛び降りればいいんだ。飛び降りるというのは地面に付く前にショック死してしまうものらしい。それに下は固ぃ土の空き地。死体が車に轢かれることもない。
そう考えているうちに、あたしはわくわくしてきた。それは、小さい頃、初めて一人で菓子を買った時に似ていた。自分で決める事ができる。しかも：今回はとっても重大な事
を・・・・・・。
具体的に考えているうちに、あたし）は公園の中心に来ていた。そこには、大きい杉の木がある。日の前に、その杉の大きな影が見えた。けど、この公園は小さな児童公園で、街灯なんてなかった。なぜ、夜なのに影が・・・・・・。
何かと思って空を見上げると、月が見えた。空は、満月が浮かんでいた。
「満月か」
夏だから、それは低い所にあった。でも、空は雲一つなかったから、それは、金貨の様にピカピカに輝いていた。この街は、外灯のせいで新月の日でさえ、ろくに星なんか見えない。でも、月は見えた。
空に一つだけ見えるそれは、人工物のように、袴麗な円形で、闇色の紙をそこだけ切り抜いて、後から黄色い電灯で照らしているのではないか、そういう思いにさせた。
月って、いつからあるのだろう。
「少なくても、地球に生物が生まれる前からだよな」
あたしは、しみじみ月を見た。そういえば、
最近月を見ていなかったような気がする。恐竜が滅んだって、キリストが死んだって、原爆が落ちたって月はあった。そんな月を見れなくなるなんて、なんだか寂しいと思った。
その途端、毎週見ていたドラマの続きが気になった。そして、貸したままの漫画本。完結していない小説の続編。食べかけのポッキー。そんな、どうでもいいようなことが頭をよぎった。
死んだら、全部なくなってしまう。
「・・・・・・なんか、馬鹿みたい」
死のうなんて、馬鹿らしくなってきた。まだ、やりたい事が沢山ある。あの母親のせいで人生台無しにする事自体、馬鹿馬鹿しいではないか。そう、そんな事者えること自体馬鹿馬鹿しい。
「 ・・・ははっ。あはは。あたし、何考えていたんだろ」
あたしは、火が付いたように笑いだした。
少し経って冷静になってきて、大声だっだ事に気付ついた。見回して、周りに人がいなかったのにホッとしたくらいだ。
「帰ろう」
あたしは、さっきより昇ってきた月を見た。
そして、家に向かって歩きだした。
「何やっていたの」
母親は、中身が半分以下に減った湯飲みを持ったままで、
「心配していた」と言った。
そばには、夏みかんの皮があった。父は帰っていた。何も言わなかったけど、私を見て怒っていた。そうだろう。勝手に出かけたのだか
ら。
「別に」
「別にじやないでしよ！ 今日は勉強はいいから、風呂に人って早く寝なさい」
二階に上がって、あたしは『遺書」を丁寧に破いた。人が読めないくらい細かくなると、
丸めてゴミ箱に入れた。
窓の外に見える月が綺麗だった。
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