俺と魔法の急須
門後明里
その日の朝、俺はちょっとした不注意から急須を割ってしまった。紅茶なら
ティーパックがあるから、カップさえあれば間に合うが、緑茶の好きな俺としては、急須のないのは不便だった。
そこで、急須を商店街に買いにいくことにしたのだった。ちょうどその日は、フリーマーケットの日だった。
商店街の広場には、「にこにこフリーマーケット」という看板と、古着やら、骨董品やらをマットの上に広げているおばさん達がいたのだった。
自分のうちで作ったらしい籠と一緒に、その急須は売られていた。百円と言う値札がセロテープで貼りつけてあった。ちょうどよかったので、俺はそれを買うことにした。
「ありがとうございました」
お袋と同じ位の年のおばさんが、新聞紙に包んでビニール袋(近所のスーパーのマークが入っていた)に入れてくれた。
一人暮らしをしている身なので、食生活は決して豊かではない。今日の夕飯は、近所のスーパーで百円引きのシールのついた弁当だった。
お茶を飲もうと急須を取り出すと、少し汚れがついているのが目に付いた。
そこをこすると、それは急須から出てきたのだった。
「こんばんはー」
やたらと普通な挨拶をそいつは交わした。
「ご命令をどうぞ、ご主人様。私は、あなたの願い事を三つかなえられます」
なんで、急須からなんだ？ ふつう、アラビアのほうのランプから出てくるんじゃないのか、あれは！
「だ、誰なんだ！ お前は？」
「誰って、私は急須の精よ」
目の前の、和服を着た女はそういった。
「急須の精って、そんなふざけたもん聞いたこともないぞ！」
「それはそうでしょうね」
ランプの精ならず、急須の精はそういった。
「でも、私は急須の精でここにいるの。私にとって重要なのは、私は急須の精で、自分を呼び出した人間の願い事を３つかなえることなのよ」
「急須の精って、冗談だろ？」
「冗談じゃないわよ。見てなさい」
急須の精は、右手を振る。途端に急須の精の服が、和服から、セーターとスカートといった普通の女の子のものに変わった。よくよく見ると、急須の精は外見二十代前半のそこそこの美人だ。彼女に誤解されるかもしれない。
「それで、願い事は？ 死人を生き返らせることと、感情を操ることと、憲法に違反していないことなら３つまでかなえてあげるから」
「別にない」
はっきりいって、限りなく胡散臭い。それに、俺には本当に願い事なんてなかったのだ。
「なんでよ？」
急須の精は意外そうに聞いてきた。
「俺は、まだ大学生なんだ。二十そこそこで、願いがかなってしまったら、人生の張り合いがなくなるだろうが！」
だいたい大学生が、大金なんて手に入れたら怪しまれるだろうし、日本で王様にはなれない。
「まあいいわ。願いをかなえるまであんたにつきまとってやるから」
急須の精はそう言った。
次の日、俺の部屋は引越しの時以上に綺麗になっていた。急須の精が掃除しておいたらしい。下の部屋にいる口うるさいオールドミスに、女を連れこんだと思われて、噂されるかもしれないと心配していたのだが、それはなかった。
急須の精が、俺の姉貴だと自分のことを紹介したからだった。
「姉の千代子です。弟がお世話になっています」
と千代子こと急須の精は挨拶したらしい。
「美人なお姉さんね。甥のお嫁さんに欲しいくらいだわ。これお姉さんと食べなさい」
オールドミスは、みかんをひと袋分くれた。下宿を始めてから二年以上立つが、彼女に物を貰ったのは初めてだった。
千代子がが、カレーを作りながら願い事を聞いてきた。
「だからないって！」
いつまでこの女はなつきまとうんだ。
俺は幸せなはずだったんだ。大学の勉強はそこそこできていたし、サークルの連中とはうまくやっていたし、バイトの給料も悪くなかったし、何より彼女がいた。
日曜日、俺は、バイトの休みが取れたこともあって、彼女と映画を見に行くことにしていた。映画館の前で待ち合わせして入たんだが、待ち合わせの時間になっても彼女は来なかった。上演時間の十分前になっても彼女は来なかった。
連絡を入れようと携帯電話を取り出すと、メールが入っていた。
『あなたとは人間的にあわないみたいです。ゴメンナサイ』
はっきりいって、絶望的だった。１時間以上も待っていた俺って、それより、人間的にあってないって、そんなの、一ヶ月も経ってないのに、判るものなのか？
「あーあ。明日なんて来なきゃいいなのな」
それは、独り言のつもりだった。
「それは、願い事ね」
気がつくと、後ろに千代子が立っていた。
「ち、千代子！」
振りかえると、誰もいない。勘違いか。
アパートに帰ってテレビをつけると、ニュースがやっていた。
「緊急事態です。気象庁の観測によると、廃棄された衛星が、衛星軌道上から下降し、T市に衝突しようとしています。繰り返します。衛星がＴ市に衝突しようとしています。半径五十キロメートル以内の人は直ちに避難してください」
Ｔ市は隣だ。なんか、道路が渋滞していると思ったら、これのせいかって・・・・・
「ええ、あなたの考えている通りよ」
千代子がいつのまにか後にいた。
「私が衛星を操ったの。こうすれば、あなたには明日なんて訪れないでしょ」
外は大混乱らしい。人の叫び声やら、車の音やら、景観の怒鳴り声や屋が混じりあっていた。
「法律違反はしないって……」
「衛星を操ってはいけないって法律はないもの」
「取り消すことはできないのか？」
「衛星は、自由落下状態。もう、私の手から離れたの」
千代子の無邪気な顔が頭にきた。怒鳴りたかったが、混乱したところで何の解決にもならないだろう。空の真上のほうには、昼間なのに星が見えた。あれが、落下してきた衛星なのだろう。
「あれを消すことはできないのか？」
「無理ね。あんな巨大質量を消失させたら、時空がゆがんでしまうもの」
「迎撃ミサイル」
「まきこまれるのが落ちね」
「燃やす！」
「ここまで窯のようになるけど」
手を握る。汗で湿っていた。テレビには、衝突まで一時間と悪趣味なカウントダウンを始めていた。
「移動させるのは？ あそこから、そうだ、学校の裏庭に！」
「それならできるわよ」
千代子は指を鳴らした。それだけだった。
「おい。なにかしたのか？」
「ええ！」
五分後、テレビからの声が聞こえた。
「皆さん奇跡です。衛星は消滅しました。もう、衝突の危険はありません」
俺は、力が抜けて座り込んだ。
「ねえ、願いをかなえたでしょ」
千代子の無邪気な声がする。
「出てけ！」
俺は、うつむいたまま言う。
「もう、急須の精なんて厄介なものやめて、どこにでも好きなところにいけよ！」
「好きなところにいっていいのね！」
千代子は喜んだ顔でそう言うと、煙のように消えてしまった。もしかして、みんなあいつの計画だったのか？まあ、ここまでなら変な女に付きまとわれたで終わったかもしれない。
しかし、次の日学校に行くと、裏庭には人垣ができていた。
「なんなんだ？」
友人に話しかけると、友人は神妙な顔で言った。
「衛星の残骸だよ」
そこには、あちこち溶けた大きな鉄の塊があった。
大学で、国の機関に問い合わせたところ本物らしい。で、今では学校の名物になっている。
ところで、あの急須だが、捨てても次の日にはテーブルの上にあったし、金鎚で叩いても割れなかった。考えようによっては割れる心配がないということで、今も使っている。友人が来たとき、冗談で、
「これ、魔法の急須なんだ」
といっても、誰も信じなかった。当たり前か。
何のパロディかはおわかりですね。
作品の出来については何も申しません。
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