| 生徒と先生のある一日
「おそい！」 ナップはいらいらしながら空を見上げた。 雲ひとつない青空で、青空教室で授業をするには最適な天気だった。席には亜人の少年パナシェだけでなく、いつもならば遅刻すれすれの鬼人の少年スバルも席についていた。しかし、肝心の先生が来ていない。 「……先生、おそいね……」 「ニイちゃん……」 後ろの二人が不安げな声を上げた。 なにやってんだよ、あいつ！ 心の中で悪態をついたところで、レックスが来るわけではない。 海賊船のナップの部屋で個人授業を終えた後、少し用事を終えてから行くから先に行ってくれといったのはレックスだ。それから一刻はすぎているような気がする。 「……しょうがねえな。学級委員の俺が、先生を呼びに行ってくるよ。いくぞ！ アール」 「ピピー」 ナップは立ち上がった。 「二人とも、予習してろよ」 ナップはそう言い残すと、アールを連れ二人を残して駆け出していった。 もうレックスが出かけている可能性もあるが、まず海賊船から調べることにした。 外では、カイルたちが船の修理をしていたが、レックスの姿はない。 「せんせいー」 「ピッピー」 まずは自分の部屋を開けた。贅を尽くされた客船の一等船室と違って、ベッドと机しかない簡素な部屋だが居心地は悪くない。もちろん、そんな狭い部屋だから人が隠れていてもすぐ気がつくはずである。 「そりゃ、いないよなー」 隣のレックスの部屋ものぞいてみたが、もちろんいない。 仕方がないので、別のところを探さそうと船を出たところでソノラと会った。 カイル一家の中でも年齢の近い分ソノラは話しやすい。 「あっ、先生見なかった」 「先生なら、風雷の郷に行くって言ってたよ」 ソノラは、海老の入った籠を持っていた。今日の食事は海老料理になるらしい。海老が好物のソノラはご機嫌だった。 「期待していてね。腕によりをかけてつくるから！」 必要以上に、ソノラは気合が入っているようだった。 風雷の郷に着くと、もうレックスは去ったらしい。 「ご老体がよると、ニッポンでは『家庭訪問』といって教師が保護者に子供の学校内での様子を報告をしに家に来る決まりがあるそうじゃ。わらわもスバルの様子が気になってレックスに来てもらっていたのじゃが、引き止めてしまったかのう」 風雷の郷の長である鬼姫ミスミは、スバルのような大きな子供がいるとは思えないくらい若く美しい。 亡くなったお母様に似ている。 ナップはそう思うと、少しどきまぎしてしまった。 「ご老体のところに寄っていくと申していたから、つかまってしまったのかもしれぬのう」 ミスミは申し訳なさそうに眉をひそめた。 「そっか。ありがと、ミスミさま」 「うむ。これからもスバルと仲良うたのむな」 ミスミは微笑んだ。 ご老体ことゲンジは「名も無き世界」のニッポンというところに住んでいたという。シルターンと似ているというから、おそらくシルターン自治区が大きくなったようなものなのだろう。 庵を訪ねるとレックスはすでに発った後で、代わりというわけではないが、ヤードがいた。 「生徒を待たせるとは、まったくもってけしからん。だいたい、若造は教師というものを……」 ゲンジもレックスを引き止めていたことは棚に上げていた。 「彼なら、狭間の領域に行きましたよ」 ゲンジの話が長くなりそうだったので、さりげなくヤードがとどめた。 「……ゲンジさん。これ以上彼を引き止めていたら、余計授業が遅くなりますよ」 「うむ。そうじゃの」 ナップは、縁側で茶を飲む二人に見送られ風雷の里を後にした。 老人と一緒に茶を飲むのがなじみすぎているヤードは、老成しすぎているのではないかと思ったが…… 霊界集落「狭間の領域」の住人は、マナをいっぱい浴びることが出来る夜に活動するものが多いため、昼間眠っていることが多い。ナップを出迎えたのも、霊界の護人ファルゼンの副官フレイズだけだった。 「レックスなら、先ほどファルゼン様に会いに来ましたが、すでに去りましたよ。ユクレス村に行くそうです」 フレイズの対応は、決して悪くではない。表情も微笑んではいるのだが、男性に対しては慇懃無礼な気がする。もしかしたら、天使ゆえの人間離れした美貌のせいので、そう見えるからかもしれないのだが。 「そっか……」 二人以上に会いに行くのはすでに簡単な用事ではないような気がするのだが……。 「……そういやさぁ、ファルゼンって鎧の中はどうなっているんだ？」 ナップは軽い気持ちで聞いてみただけだが、フレイズの対応は違った。 「それには、お答えしかねます」 口調はさっきと変わらない。顔も微笑を浮かべたままだったが、目が笑っていなかった。 どうも、触れてはいけないことだったらしい。 「じゃあ、行くぞ！ アール」 「ピピー」 ナップは早々立ち去ることにした。 フレイズのはるか後ろから緑の髪をした自分……確かめるまでもなくマネマネ師匠だが……がこちらを覗いていたが、無視することにした。 幻獣界「ユクレス村」は自然の豊かな集落だ。幻獣界の護人ヤッファの住む庵を訪ねると、あきれたことにヤッファは昼寝をしていた。 「おい、おっさん！ 先生見なかった」 「……ああ、レックスか。……あいつなら果樹園に行ったぜ」 ヤッファは半分眠ったまま、果樹園のほうを指差した。 「じゃあな。俺はいそがしいんだ」 「いそがしいって、昼寝してるだけじゃんかよ！」 それっきり、ヤッファはまたいびきをかき始めた。 果樹園ではジャキーニが油の入った壺を持って暴れていた。 「……もう我慢ならん！ 火じゃ、火しかあるまい！ 油をまくんじゃ！ 止めるな！」 「あんさん。落ち着いてください！」 「ヒゲヒゲさん。短気はだめですよぉ」 オウキーニがジャキーニを羽交い絞めにして、必死で抑えていた。 「なあ。先生知らない」 すると、マルルゥがこちらに気がついて近くまで飛んできた。 「えっと、先生さんでしたら、果物を持ってあっちに行きました」 マルルゥが示す方向は、ラトリクスのほうだった。 「ふん、悪かったな。オウキーニ」 やっとジャキーニが落ち着いたらしい。 地面を見ると気絶したヘルモグラとかじられた野菜が転がっていた。 「ナップはん。かんしんしてくださいな。今日は朝からヘルモグラが暴れまわって大変だったんですわ」 オウキーニもこちらに気がついたらしい。 「いや、いいよ。大変だったんだな」 このままいても仕方ないので、アールとともに、果樹園を立ち去った。 もともと自然の豊かな島なので、集落と集落の間には森が広がっていた。 森の中を歩いていると、一番会いたくない人物に出会ってしまった。 「げっ！」 目の前にいたのはアズリアだった。帝国軍の部隊長で、レックスと同期だったという女だ。 そして、レックスの持つ緑の賢帝を狙う女。 「おまえは、レックスの生徒だな」 こう真正面から出会ってしまっては、いまさら隠れることも出来ない。自分の実力ではアズリアには到底かなわないが、せめて隙を見て逃げ出すくらいは出来るはず。 「ピピー」 「くっ！」 アールと一緒に、アズリアをにらみつけたが、それでひるむような相手ではない。 「ふん。……出会ったのが私一人であったことを幸運に思うのだな。行け！」 「へっ？」 思わず構えを緩めた。 「二度目はないぞ！ 見逃してやるといっているのだ」 「くっ！」 甘く見られているのは癪だったが、またむざむざと捕まってしまうような失態をさらすわけにはいかない。ナップはおとなしくその場を立ち去った。 メイド頭のサローネによると、レックスは主席で軍学校を卒業したらしい。そうだとしたら、あのアズリアより学校での成績がよかったということだ。 あいつ、学校ではどんな奴だったんだろう。 アズリアに聞いてみたかったが、戻ることはもちろん出来なかった。 機界集落「ラトリクス」に来ると、機界の召喚獣であるアールは元気になる。 「ピッピピー♪」 特に今は電磁バーガーを見つけたのでご機嫌だった。 「わかった。学校が終わったら食わせてやっから」 中央管理施設を訪ねると、機界の護人アルディラがいた。アルディラは落ち着いた佇まいと知的な感じのする美人である。父の秘書がこのようなタイプの女性だったような気がする。 「レックスね。彼ならクノンを尋ねてきたはずだわ。クノン！」 アルディラに呼ばれて機械人形のクノンがやってきた。 「なんでしょうか。アルディラ様」 「レックスがどこに向かったか、あなた知らない？」 クノンは表情の乏しい顔でうなずいた。 「レックス様なら、患者にお見舞いに参りました。……患者が寝ておりましたので、差し入れの果物は私が預かりました。レックス様は青空学校に向かうそうです」 考えてみれば、島の中でこの他にレックスが尋ねるような場所はない。 患者というのはイスラのことだろう。浜辺で倒れていたところをレックスと一緒に見つけた青年で、ここ最近の記憶を失っているらしい。 血色のよくない白い肌をしていた。あまり丈夫ではないのだろう。 「彼が来たのは結構前ね。早く行ったほうがいいわ」 「うん。ありがと」 「ピピー」 なんだかんだで、島を周り巡って青空教室に着くとすでにレックスは授業を始めていた。レックスが通ってきた道順をたどってきたので、彼のほうが早く着いているのは当たり前だ。 「遅かったね、ナップ。授業は先に始めていたよ」 いつものように眼鏡をかけたレックスが、黒板に文を書いていたところだった。 スバルやパナシェは大人しく書き取りをしていた。 問題はない。授業は始まったし、スバルとパナシェはめずらしく大人しいし……。 「……って、島中を回るのはちょっとした用事ではないじゃないか！」 「ピッピー！」 島は今日のところは平和だった。
コピー誌に書いた３の掌編。 |